一

 親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで子供の時から損ばかりしている。小學校に居る時分學校の二階から飛び降りて一週間ほどこしかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出來まい。弱蟲やーい。とはやしたからである。小使こづかいに負ぶさって帰って來た時、おやじが大きなをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるかとったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
 親類のものから西洋製のナイフをもらって奇麗きれいを日にかざして、友達ともだちに見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと雲った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと註文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指のこうをはすに切りんだ。さいわいナイフが小さいのと、親指の骨がかたかったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。
 庭を東へ二十歩に行きつくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかくりの木が一本立っている。これは命より大事な慄だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴を拾ってきて、學校で食う。菜園の西側が山城屋やましろやという質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎かんたろうという十三四のせがれが居た。勘太郎は無論弱蟲である。弱蟲のくせに四つ目垣を乗りこえて、慄をぬすみにくる。ある日の夕方折戸おりどかげかくれて、とうとう勘太郎をつらまえてやった。その時勘太郎はみちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。むこうは二つばかり年上である。弱蟲だが力は強い。はちの開いた頭を、こっちの胸へててぐいぐいした拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれのあわせそでの中にはいった。邪魔じゃまになって手が使えぬから、無暗に手をったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐらなびいた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二のうでへ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦あしがらをかけて向うへたおしてやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分くずして、自分の領分へ真逆様まっさかさまに落ちて、ぐうと雲った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋にびに行ったついでに袷の片袖も取り返して來た。
 この外いたずらは大分やった。大工の兼公かねこう餚屋さかなやかくをつれて、茂作もさく人蔘畠にんじんばたけをあらした事がある。人蔘の芽が出揃でそろわぬところわらが一面にいてあったから、その上で三人が半日相撲すもうをとりつづけに取ったら、人蔘がみんなみつぶされてしまった。古川ふるかわの持っている田圃たんぼ井戸いどめてしりを持ち込まれた事もある。太い孟宗もうそうの節を抜いて、深く埋めた中から水がき出て、そこいらのいねにみずがかかる仕掛しかけであった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石やぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へし込んで、水が出なくなったのを見屆けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤まっかになって怒鳴どなり込んで來た。たしか罰金ばっきんを出して済んだようである。
 おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓ひいきにしていた。この兄はやに色が白くって、芝居しばい真似まねをして女形おんながたになるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせろくなものにはならないと、おやじが雲った。亂暴で亂暴で行く先が案じられると母が雲った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役ちょうえきに行かないで生きているばかりである。
 母が病気で死ぬ二三日にさんち前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨あばらぼねって大いに痛かった。母が大層おこって、お前のようなものの顔は見たくないと雲うから、親類へとまりに行っていた。するととうとう死んだと雲う報知しらせが來た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人おとなしくすればよかったと思って帰って來た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと雲った。口惜くやしかったから、兄の橫っ面を張って大変しかられた。
 母が死んでからは、おやじと兄と三人でくらしていた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だめだ駄目だと口癖のように雲っていた。何が駄目なんだか今に分らない。みょうなおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか雲ってしきりに英語を勉強していた。元來女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍いっぺんぐらいの割で喧嘩けんかをしていた。ある時將棋しょうぎをさしたら卑怯ひきょう待駒まちごまをして、人が困るとうれしそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間みけんたたきつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付いつけた。おやじがおれを勘當かんどうすると言い出した。
 その時はもう仕方がないと観念して先方の雲う通り勘當されるつもりでいたら、十年來召し使っているきよという下女が、泣きながらおやじにあやまって、ようやくおやじのいかりが解けた。それにもかかわらずあまりおやじをこわいとは思わなかった。かえってこの清と雲う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞いている。だからばあさんである。この婆さんがどういう因縁いんえんか、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想あいそをつかした――おやじも年中持て餘している――町內では亂暴者の悪太郎と爪弾つまはじきをする――このおれを無暗に珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人に好かれるたちでないとあきらめていたから、他人から木のはしのように取りあつかわれるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたはすぐでよいご気性だ」とめる事が時々あった。しかしおれには清の雲う意味が分からなかった。い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を雲う度におれはお世辭はきらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと雲っては、嬉しそうにおれの顔をながめている。自分の力でおれを製造してほこってるように見える。少々気味がわるかった。
 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣こづかいで金鍔きんつば紅梅焼こうばいやきを買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麥粉そばこを仕入れておいて、いつの間にかている枕元まくらもとへ蕎麥湯を持って來てくれる。時には鍋焼饂飩なべやきうどんさえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋くつたびももらった。鉛筆えんぴつも貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと雲った訳ではない。向うで部屋へ持って來てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと雲ってくれたんだ。おれは無論入らないと雲ったが、是非使えと雲うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口がまぐちへ入れて、ふところへ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架こうかの中へおとしてしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒をさがして來て、取って上げますと雲った。しばらくすると井戸端いどばたでざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口のひもを引きけたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札いちえんさつを改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火缽でかわかして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみてくさいやと雲ったら、それじゃお出しなさい、取りえて來て上げますからと、どこでどう胡魔化ごまかしたか札の代りに銀貨を三円持って來た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと雲ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと雲って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子かしや色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんにはらないのかと清に聞く事がある。すると清はすましたものでお兄様あにいさまはお父様とうさまが買ってお上げなさるから構いませんと雲う。これは不公平である。おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙贔負えこひいきはせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛におぼれていたにちがいない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって將來立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんにってはかなわない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると雲う了見りょうけんもなかった。しかし清がなるなると雲うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿ばかばかしい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車てぐるまへ乗って、立派な玄関げんかんのある家をこしらえるに相違そういないと雲った。
 それから清はおれがうちでも持って獨立したら、一所いっしょになる気でいた。どうか置いて下さいと何遍もり返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麴町こうじまちですか麻布あざぶですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計畫を獨りでならべていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建にほんだても全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと雲ってまた賞めた。清は何と雲っても賞めてくれる。
 母が死んでから五六年の間はこの狀態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概いちがいにこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想かわいそうだ、不仕合ふしあわせだと無暗に雲うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中學校を卒業する。六月に兄は商業學校を卒業した。兄は何とか會社の九州の支店に口があってかなければならん。おれは東京でまだ學問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立しゅったつすると雲い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介やっかいになる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか雲い出すにきまっている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟かくごをした。兄はそれから道具屋を呼んで來て、先祖代々の瓦落多がらくた二束三文にそくさんもんに売った。家屋敷いえやしきはある人の周旋しゅうせんである金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、くわしい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町おがわまちへ下宿していた。清は十何年居たうちが人手にわたるのを大いに殘念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出來ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出來るものなら、今でも相続が出來るはずだ。婆さんはなんにも知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州くんだりまで出掛ける気は毛頭なし、と雲ってこの時のおれは四畳半よじょうはんの安下宿にこもって、それすらもいざとなれば直ちに引きはらわねばならぬ始末だ。どうする事も出來ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと雲ったらあなたがおうちを持って、おくさまをお貰いになるまでは、仕方がないから、おいの厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支さしつかえなく暮していたから、今までも清に來るなら來いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年來住みれたうちの方がいいと雲って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易ほうこうがえをして入らぬ気兼きがねを仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、さいを貰えの、來て世話をするのと雲う。親身しんみの甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ來て金を六百円出してこれを資本にして商買しょうばいをするなり、學資にして勉強をするなり、どうでも隨意ずいいに使うがいい、その代りあとは構わないと雲った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊たんばくな処置が気に入ったから、禮を雲って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと雲ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場ていしゃばで分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
 おれは六百円の使用法について寢ながら考えた。商買をしたって面倒めんどくさくってうまく出來るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを學資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出來る。三年間一生懸命にやれば何か出來る。それからどこの學校へはいろうと考えたが、學問は生來しょうらいどれもこれも好きでない。ことに語學とか文學とか雲うものは真平まっぴらめんだ。新體詩などと來ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理學校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入學の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲からおこった失策だ。
 三年間まあ人並ひとなみに勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定かんじょうする方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑おかしいと思ったが苦情を雲う訳もないから大人しく卒業しておいた。
 卒業してから八日目に校長が呼びに來たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四國辺のある中學校で數學の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間學問はしたが実を雲うと教師になる気も、田舎いなかへ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと雲うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席そくせきに返事をした。これも親譲りの無鉄砲がたたったのである。
 引き受けた以上は赴任ふにんせねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居ちっきょして小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気ひかくてきのんきな時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉かまくらへ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
 家をたたんでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれがくたびに、りさえすれば、何くれと款待もてなしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢じまんを甥に聞かせた。今に學校を卒業すると麴町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴ふいちょうした事もある。獨りでめて一人ひとり喋舌しゃべるから、こっちはまって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寢小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風むかしふうの女だから、自分とおれの関係を封建ほうけん時代の主従しゅじゅうのように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合點がてんしたものらしい。甥こそいいつらの皮だ。
 いよいよ約束が極まって、もう立つと雲う三日前に清をたずねたら、北向きの三畳に風邪かぜを引いて寢ていた。おれの來たのを見て起き直るが早いか、っちゃんいつうちをお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて來ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に當分うちは持たない。田舎へ行くんだと雲ったら、非常に失望した容子ようすで、胡麻塩ごましおびんの亂れをしきりにでた。あまり気の毒だから「く事は行くがじき帰る。來年の夏休みにはきっと帰る」となぐさめてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って來てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後えちご笹飴ささあめが食べたい」と雲った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と雲って聞かしたら「そんなら、どっちの見當です」と聞き返した。「西の方だよ」と雲うと「箱根はこねのさきですか手前ですか」と問う。隨分持てあました。
 出立の日には朝から來て、いろいろ世話をやいた。來る途中とちゅう小間物屋で買って來た歯磨はみがき楊子ようじ手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入れてくれた。そんな物は入らないと雲ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。隨分ご機嫌きげんよう」と小さな聲で雲った。目になみだ一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。

     二

 ぶうとって汽船がとまると、はしけが岸をはなれて、ぎ寄せて來た。船頭はぱだかに赤ふんどしをしめている。野蠻やばんな所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていてもがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出來るものかと思ったが仕方がない。威勢いせいよく一番に飛び込んだ。づいて五六人は乗ったろう。外に大きなはこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎもどして來た。おかへ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中學校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と雲った。気の利かぬ田舎いなかものだ。ねこの額ほどな町內のくせに、中學校のありかも知らぬやつがあるものか。ところへみょうつつっぽうを着た男がきて、こっちへ來いと雲うから、いて行ったら、港屋とか雲う宿屋へ連れて來た。やな女が聲をそろえてお上がりなさいと雲うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中學校を教えろと雲ったら、中學校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
 停車場はすぐ知れた。切符きっぷも訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車をやとって、中學校へ來たら、もう放課後でだれも居ない。宿直はちょっと用達ようたしに出たと小使こづかいが教えた。隨分ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でもたずねようかと思ったが、草卧くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に雲い付けた。車夫は威勢よく山城屋やましろやと雲ううちへ橫付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎かんたろうの屋號と同じだからちょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段はしごだんの下の暗い部屋へ案內した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと雲ったらあいにくみんなふさがっておりますからと雲いながら革鞄をほうり出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいってあせをかいて我慢がまんしていた。やがて湯に入れと雲うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけにのぞいてみるとすずしそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。うそをつきゃあがった。それから下女がぜんを持って來た。部屋はつかったが、飯は下宿のよりも大分うまかった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から來たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと雲ったからあたり前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い聲がきこえた。くだらないから、すぐたが、なかなか寢られない。熱いばかりではない。騒々そうぞうしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたらきよゆめを見た。清が越後えちご笹飴ささあめを笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと雲うと、いえこの笹がお薬でございますとって旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底がけたような天気だ。
 道中どうちゅうをしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末そまつに取り扱われると聞いていた。こんな、せまくて暗い部屋へし込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服裝なりをして、ズックの革鞄と毛繻子けじゅす蝙蝠傘こうもりを提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括みくびったな。一番茶代をやっておどろかしてやろう。おれはこれでも學資のあまりを三十円ほどふところに入れて東京を出て來たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給をもらうんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやればおどろいて眼をまわすにきまっている。どうするか見ろとすまして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って來た。ぼんを持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女のつらよりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、しゃくさわったから、中途ちゅうとで五円さつを一まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと雲ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ學校へ出懸でかけた。くつみがいてなかった。
 學校は昨日きのう車で乗りつけたから、大概たいがいの見當は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関げんかんまでは御影石みかげいしきつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗むやみ仰山ぎょうさんな音がするので少し弱った。途中から小倉こくらの制服を着た生徒にたくさんったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味がるくなった。名刺めいしを出したら校長室へ通した。校長は薄髯うすひげのある、色の黒い、目の大きなたぬきのような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと雲って、うやうやしく大きな印のおさった、辭令をわたした。この辭令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ拋りんでしまった。校長は今に職員に紹介しょうかいしてやるから、一々その人にこの辭令を見せるんだと雲って聞かした。餘計な手數だ。そんな面倒めんどうな事をするよりこの辭令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
 教員が控所ひかえじょそろうには一時間目の喇叭らっぱが鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々おいおいゆるりと話すつもりだが、まず大體の事をみ込んでおいてもらおうと雲って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ來たと思った。校長の雲うようにはとても出來ない。おれみたような無鉄砲むてっぽうなものをつらまえて、生徒の模範もはんになれの、一校の師表しひょうあおがれなくてはいかんの、學問以外に個人の徳化をおよぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な註文をする。そんなえらい人が月給四十円で遙々はるばるこんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩けんかの一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出來ない。そんなむずかしい役ならやとう前にこれこれだと話すがいい。おれはうそをつくのがきらいだから、仕方がない、だまされて來たのだとあきらめて、思い切りよく、ここでことわって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布さいふの中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても噓をつくよりましだと思って、到底とうていあなたのおっしゃる通りにゃ、出來ません、この辭令は返しますと雲ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出來ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと雲いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇おどささなければいいのに。
 そう、こうする內に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと雲うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に機をならべてみんなこしをかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人ひとりびとりの前へ行って辭令を出して挨拶あいさつをした。大概たいがい椅子いすを離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辭令を受け取って一応拝見をしてそれをうやうやしく返卻へんきゃくした。まるで宮芝居の真似まねだ。十五人目に體操たいそうの教師へと廻って來た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。むこうは一度で済む。こっちは同じ所作しょさを十五返繰り返している。少しはひとの了見りょうけんも察してみるがいい。
 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと雲うのが居た。これは文學士だそうだ。文學士と雲えば大學の卒業生だからえらい人なんだろう。みょうに女のような優しい聲を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣しゃつを着ている。いくらかうすい地には相違そういなくっても暑いには極ってる。文學士だけにご苦労千萬な服裝なりをしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿ばかにしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。當人の説明では赤は身體からだに薬になるから、衞生のためにわざわざあつらえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物もはかまも赤にすればいい。それから英語の教師に古賀こがとか雲う大変顔色のるい男が居た。大概顔のあおい人はせてるもんだがこの男は蒼くふくれている。むかし小學校へ行く時分、淺井あさいたみさんと雲う子が同級生にあったが、この淺井のおやじがやはり、こんな色つやだった。淺井は百姓ひゃくしょうだから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子とうなすばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以來蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食ったむくいだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるにちがいない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ數學の教師に堀田ほったというのが居た。これはたくましい毬慄坊主いがぐりぼうずで、叡山えいざん悪僧あくそうと雲うべき面構つらがまえである。人が叮寧ていねいに辭令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに來給きたまえアハハハと雲った。何がアハハハだ。そんな禮儀れいぎを心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐やまあらしという渾名あだなをつけてやった。漢學の先生はさすがにかたいものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご勵精れいせいで、――とのべつに弁じたのは愛嬌あいきょうのあるおじいさんだ。畫學の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾すきやの羽織を着て、扇子せんすをぱちつかせて、お國はどちらでげす、え? 東京? そりゃうれしい、お仲間が出來て……わたしもこれで江戸えどっ子ですと雲った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は數學の主任と打ち合せをしておいて、明後日あさってから課業を始めてくれと雲った。數學の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々いまいましい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿とまってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と雲い殘して白墨はくぼくを持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから來て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから學校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布あざぶ聯隊れんたいより立派でない。大通りも見た。神楽坂かぐらざかを半分に狹くしたぐらいな道幅みちはば町並まちなみはあれより落ちる。二十五萬石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張いばってる人間は可哀想かわいそうなものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狹いものだ。これで大抵たいてい見盡みつくしたのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場にすわっていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。くついで上がると、お座敷ざしきがあきましたからと下女が二階へ案內をした。十五じょうの表二階で大きなとこがついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣ゆかた一枚になって座敷の真中まんなかへ大の字に寢てみた。いい心持ちである。
 晝飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌だいきらいだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発ふんぱつして長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寢ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寢られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。來年の夏は帰る。今日學校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、數學は山嵐、畫學はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気ねむけがさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寢た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寢た。この部屋かいと大きな聲がするので目が覚めたら、山嵐がはいって來た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽ろうばいした。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日はおろか明日あしたから始めろと雲ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、ぼくがいい下宿を周旋しゅうせんしてやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出來る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから學校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料しゅくりょうはらっても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発ふんぱつしてすぐ移るのはちと殘念だが、どうせ移る者なら、早く引きして落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐にたのむ事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに來てみろと雲うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑靜かんせいだ。主人は骨董こっとうを売買するいか銀と雲う男で、女房にょうぼう亭主ていしゅよりも四つばかり年嵩としかさの女だ。中學校に居た時ウィッチと雲う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町とおりちょうで氷水を一杯奢ぱいおごった。學校で逢った時はやに橫風おうふうな失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持かんしゃくもちらしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。
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